私のカントリー人生 金平 隆 |
|
TEXAS TORNADO |
1965年、東京オリンピックの翌年明治大学に入学した私は、まよわずに軽音楽
クラブに入部、1年間ジャズバンドでギターを弾いた後、2年から「カントリーケイパース」に移りペダルスチールギターを担当、その時から35年以上に渡るカントリーミュージックとの付合いが始まりました。卒業と同時にプロ活動を始めましたが、その頃は米軍クラブが東京周辺には沢山あって仕事には事欠かなく、のんびりと生活していた感じがあります。私の1年後輩の「石川マキ」が北海道の札幌で仕事を始めたと言う話しを聞いたのも、その頃でした。たしか「ホンキートンク」とか「OK牧場」と言う”すすきの”のお店だったと思います。20数年前、石川君の紹介で一度だけ私はバンド・メンバー全員連れて札幌でライブを演った事があります。その後も営業の仕事で「ホテル・アルファ」等に数回来た事があります。最近は機会が無く足が遠
のいていますが、北海道の自然と食べ物の美味しさ、そしてビールの美味しさが今でも
忘れられません。私はカントリーのミュージシャンでもありますが、米軍クラブでのアメリカ人に接したり、10数年前からは本場のテキサスやテネシーに行く様になり、益々カントリーな生き方が好きになっていきました。つまり音楽プラス「ダンス」、そしてウエスタン・ライディングです。ダンスは元々学生時代から好きだった事もあり「ロンスタークラブ」というファンクラブを作り、今でも月1回講習会を開いております。しかし乗馬、これはやはり「スポーツ」ですね!私は東京から近い小淵沢の「ラングラーランチ」で、25年前位
ですが本格的に通って練習をしました。その頃は今の様にクォーター・ホース等おらず、もっぱら競馬の払い下げの様な馬で気が荒く苦労しました。その後アメリカでは何度かクォーターホースに乗る機会がありましたが、とても楽に走り回る事ができました。きっと北海道もこんな感じなんだろうと思います。いっかは又行って見たいと思っています。今は年に数回、友人の古沢君と御殿場の「アルカディア」に行ったり、河口湖の「パディフィールド」に行ったり、のんびり乗馬を楽しんでいます。4年前に高田馬場に「ロンスター・カフェ」という、カントリーのライブハウスをオープンして、私は毎週金曜日に出演しています。お会い出来るといいですね。
|
亜紀ひとみ
京都で活躍の亜紀ひとみさん。5年前からWVSに来てくれていてそれが赤い軽
自動車にステッカーをベタベタ貼ってあって、車から降りたときわ、なんと派手
な女が表れたと、一瞬ビツクリしました。その後何度か乗馬をしにきてくれた。
そして2年前、最初のウエスタンピクニックINサホロで歌ってくれた。昨年大阪
に行った時、京都に合に行きたかったのだが、行けずじまい。もう一度じっくり
歌を聴きたい。
京都生まれの京都育ち。京都教育大学を卒業して、小学校教諭になるも、難病
に見舞われ、歌手として音楽の道に進む。幼少の頃より、ピアノ教室に通
ったり
、音楽クラブや鼓笛バンドに入ったりし、中学生の頃からアコースティック音楽
に目覚めギターも弾き始める。音楽の傍ら、演劇やダンスの世界にも足を突っ込
む。大学時代 ・教師時代にはバンドでライブ活動にも力を入れる。
1995.4歌
謡曲のシングルをキングレコードより発売。その後、日本歌手協会に入会。
1996.4カントリーのミニアルバムを発売。1998.10歌謡曲の2枚目のシングルを
日本コロムビアより発売。 演歌・カントリー・オールディーズ・ポップス・童
謡・アニメソング他ジャンルを問わず、舞台、TV、ライブハウス、イベントと、
京都を中心に全国的に活動中!! 亜紀ひとみの歌謡曲のオリジナル「恋人塚」は
、シンコム通信カラオケ・孫悟空・タイトー通信カラオケに全国版で入っていま
す。北海道でも歌っていただけます!! この、6月20日には、「ふたりだけの
ミニシアター」という曲も、タイトーのカラオケに配信されます。
カントリーミュージックの魅力
それは、カントリーだけが持つ、あの一種独特な雰囲気・・・。
うっとりする
ように波打つぺダル・スチール、けだるさの中に心地良さを醸し出すフィドル、
泣くように歌うように奏でる ギター、そして空を切って心の中に鋭く飛び込んで
くるバンジョー、時にはシャープに時にはロマンチックに響くフラット・マンド
リンたちの音色。 最初は、ブルーグラスからこのAmerican Soun
d に引き込まれて行きました。あの、タイトなドライブ感のある、スカッと爽
やかな音楽。思わず、アクセルも踏み込みたくなるような心地良さ・・・。
日
本では、殆ど知られていないジャンルの音楽でしたが、ブルーグラスに心を奪わ
れた者達は熱狂的な信者と化していく・・・。そんな仲間たちとバンドを組んで
あちこちのイベントやらライブやらで活動していた頃、カントリー・ミュージッ
クに出会いました。 ブルーグラスとはまた、一味も二味も違う魅力が、そこに
は存在していました。音の幅の広さ、深さ。それに加えて、 カントリーには、人
間の生活の匂いが感じられました。その中には、人生の悩みや苦しみ・喜びや怒
り・叫びがありました。悲しい詩なんだけれど、とても情けないストーリーなん
だけれど、カントリーミュージックの中には、どんな逆境にその身が投じられよ
うと、その向こうには、必ず、希望の光が、立ち直る意思があるのです。
カント
リーは、元気の素のような力を与えてくれる音楽だと思います。 私には、膠原
病という難病の十字架が今、背負わされています。自分が天職と考えていた教職
も奪われ、日々、病との闘いです。今までに、何度も負けそうになり、命の灯火
も消えかけた事もあります・・・。でも、その時に私を支えてくれたのが音楽で
した。カントリーミュージックでした。 今尚、この闘いは続いています。でも
、歌を歌い続けることで自分の生というものをかみしめ、一日一日前を見つめて
歩いて行きたいと思います! アメリカで、ナッシュビルで生のカントリーを思
う存分聴きました。あの広大な土地のゆったりのびのびとした風土、その中に培
われた文化。それらが基盤となって生まれてきた音楽。日本で聴くのとはまた全
然違う感動が、そこには有りました。 でも、北海道ならそんなイメージがピッ
タリ!!是非是非北海道でカントリーミュージックを根付かせて欲しいものです
。素晴らしい北の大地の爽やかな空のもとで、思いっきりカントリーミュージッ
クを歌ってみたいものです・・・。
|